任天堂アーケードゲーム史その1

今回は、

任天堂のアーケードゲーム史その1

について紹介していきます。

今でこそ日本を代表する世界的な大企業となった超優良企業「任天堂」。

私が最も好きなゲームメーカーであり、幼少期から今日まで常にお世話になっております。

元々は花札やトランプなどの玩具を製造・販売していたメーカーですが、

後に業務用アーケードゲームも作ることになります。

しかし、残念ながら発売当初はパッとしませんでした。

後に発売されるゲーム&ウォッチや、ドンキーコングなどが北米で大ヒットし大きな黒字となります。

その後は、アーケードゲームから家庭用ゲーム機へとシフトチェンジし、ご存じファミコン→スーファミなどで、またまた大ヒットとなります。

個人的には、任天堂はファミコンから入ったので、アーケードゲームのイメージはありませんでしたが、当時は凄い人気だったようですね。

ファミコンは、後に北米でも発売されますが、名前は

Nintendo Entertainment System(ニンテンドー・エンターテインメント・システム、略してNES)

として発売、こちらも北米で大人気となりました。

今回は、家庭用ゲームではなく、任天堂初期の業務用アーケードゲームについて紹介していきます。

任天堂のレトロアーケードゲームについて興味のある方は、是非見ていってください。

任天堂アーケードゲームの歴史その1

 

シェリフ

1979年

任天堂

記念すべき、任天堂最初のビデオゲーム。

シェリフ(保安官)となって、町にやって来るならず者を撃退する内容。

8方向のダイヤルスイッチで、指定した方向に弾を撃つことができます。

今見るとシンプルですが、当時のゲームとしては中々凝った設定だったのではないでしょうか。

スペースフィーバー

1979年2月

池上通信機

見た目通り、スペースインベーダーの類似作品。

キャラデザインは、後にドンキーコングなどを作ることとなる宮本茂氏。

開始前のゲームモード選択で、インベーダーの配置と動きを3種類から選ぶことが出来ます。

当時はインベーダーゲームの大ヒットにより、他社からも色々類似品が出ていました。

スペースファイアーバード

1980年

任天堂

シンプルな固定画面のシューティングゲーム。

虫のように飛来する敵キャラは、ナムコのギャラクシアンにも似ています。

耐久力の異なる敵キャラや緊急脱出などもありましたが、

この頃は、まだ任天堂独自の要素は少なかったですね。

スペースランチャー

1980年

ユニバーサル

左右から飛来する隕石を避け、インベーダーを倒して宇宙ステーションポートに着陸するアクションゲーム。

インベーダーは正面から当たると倒すことが出来ますが、弾に当たるとミスになります。

システム的にはコナミのフロッガーにも似ていますが、発売はこちらの方が先。

ヘリファイヤー

1980年9月

池上通信機

潜水艦で敵を倒す、シンプルな固定画面のシューティングゲーム。

中盤からはヘリからの攻撃だけでなく、左右からも激しくミサイルが飛んでくるので難易度も高め。

家庭用にも移殖はされておらず、かなりマイナーな作品。

こちらも情報が少なく詳しい事は分かりませんが、当時はそこまで人気は出なかったのでしょうね。

レーダースコープ

1980年10月

池上通信機

画面に少し奥行きがある固定画面のシューティングゲーム。

任天堂のギャラクシアンといった印象ですが、異なる点は敵が落とした機雷を撃ち漏らすとスピードが落ちる事。

弾を撃ち漏らすと下部のメーターが溜まり、自機のスピードが遅くなっていきます。

当時としては悪くはない設定でしたが、発売が遅れインベーダーゲームブームが終わってしまったのが本作の不運なとこ。

この頃は北米でも既に固定画面のシューティングのブームは終わっており、結果、大量の在庫を抱えることに。

下手するとここで任天堂は終わっていたかもしれませんが、この危機を救ったのが、あの宮本氏と同基板を再利用して作られたドンキーコング。

本作の販売不振が無かったら、ドンキーコングも生まれていなかったかもしれませんね。

スカイスキッパー

1981年

任天堂

任天堂としては、かなりマイナーなアクションゲーム。

ドンキーコングのような敵の猿に爆弾を当てるとトランプ王国の人々が飛び出し、彼らを全員救助するとステージクリア。

ハートやスペードなど、絵柄を揃えることで高得点となります。

中々面白い設定ですが中々家庭用には移植されず、長いこと幻のゲーム扱いされていました。

ファミコンに移植されても良さそうなものですが、あまりゲーセンでの評判もよろしくは無かったんでしょうね。

最近になって、ようやくアケアカでも復刻されています。

ドンキーコング

1981年

池上通信機

ご存じ、任天堂が大躍進するキッカケとなった名作。

前述したとおり、本作が生まれたキッカケはレーダースコープの販売不振から。

2000台も抱えた在庫をいかにして処分するか、そこで発案されたのが同基板を再利用して新しいゲームを作るという事。

そして、急遽その白羽の矢が立ったのが、入社4年目の宮本茂氏。

恐らく任天堂自体もそこまで大ヒットしなくても、在庫がそれなりに処分できればいいくらいの考えだったのでしょう。

ところが本作は予想を裏切る大ヒットとなり、米国だけでも5万台売れ300億円以上の売り上げだったと言われています。

まさに、ピンチをチャンスに変えた大逆転でしたね。

後にファミコンにも移植され、ファミコン世代にもお馴染みの作品。

ちなみにファミコンのスペックは、ドンキーコングをアーケードと同じように遊べると言うのが条件だったとか。

しかし、あまりにも売れすぎたせいか、版権を巡って開発元の池上通信機ともめることに。

これまで共同に開発してきた池上通信機とも、ココで袂を分かつ事になったのは残念でした。

ドンキーコングJR.

1982年8月

任天堂

大ヒットしたドンキーコングの続編。

今回はマリオに捕まったお父さんを、その子供が救うという内容。

マリオが登場する様々なゲームの中でも、唯一マリオが悪役の作品。

本作の開発は、宮本茂氏と横井軍平氏。

しかし、同時期の他社の作品のゲームと比べると突出したインパクトはなく、前作ほどヒットはしませんでした。

ポパイ

1982年12月

任天堂

人気アニメ、ポパイを題材としたアクションゲーム。

原作同様、普段は当たるとミスになるプルートも、ほうれん草を食べると倒すことが出来ます。

ドンキーコングも元々はポパイを題材としたアクションゲームにする予定でしたが、版権取得が間に合わずオリジナルのゲームになりました。

そして、正式に版権を取得して開発されたのが本作。

本作もファミコンのローンチタイトルとして発売されているので、ファミコン世代にもお馴染みですね。

ちなみに、アニメではホウレン草は缶詰でしたが、我々日本人にはほうれん草の缶詰と言うのはあまり馴染みがありませんでしたね。

北米では、子供が嫌いな食べ物No1がほうれん草で、あの缶詰のほうれん草がすこぶるマズいと評判だったらしいです^^;

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