【セガ アーケードゲーム史①】名作誕生の軌跡|ゲーセン黄金時代の始まり

アーケードゲーム

今回は、主に1960年~1970年代のセガアーケードゲームの歴史について紹介していきます。

かなり古いゲームなどもあり、個人的には全く遊んだことがない作品も多いですが、

当時遊んだ人には、きっと懐かしく感じるはず。

60年代はビデオゲームというのは存在してはおらず、主にエレメカが主流でしたが、

その時から、セガは色々個性的な作品を多く手掛けていました。

セガのアーケードゲームは、なぜこれほどまでに多くの名作を生み出すことができたのか。

本記事では、セガ アーケードゲーム史①として、名作誕生の背景や当時のゲーセン文化を交えながら、その進化の過程をわかりやすく解説しています。

レトロゲーム好きの方はもちろん、セガのアーケードゲーム史、

日本のアーケードゲームの歴史に興味のある方は、是非見ていってください。

ちなみに、今回紹介している記述内容は主に、セガの公式サイトや、書籍「セガアーケードゲームヒストリー」に記載されている情報となっております。

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個人的には遊んだことがないタイトルが多いですが、恐らく情報的には正しい内容だと思います。

セガアーケードゲームヒストリー その1(1966年~1980年)

 

ペリスコープ

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1966年

セガ最初のアーケードゲームは「ぺリスコープ」と言われています。

今のようなビデオゲームではなく、機械駆動で遊ぶ、いわゆるエレメカになります。

分かりやすく言うと、モグラたたきや、ワニワニぱにっくのようなあのタイプですね。

本作は、潜水艦の潜望鏡を覗きながら海上を航行する敵戦艦を魚雷で攻撃するシステム。

本物そっくりの潜望鏡や、動く海や船の模型、美しいライト装飾など、同時としては、かなりリアルに作られていました。

斬新なゲーム性と美しいボディが注目され、主にデパートの屋上やボーリング場、遊園地や動物園などに設置されていたそうです。

その後、アメリカにも輸出され、世界的な大ヒットとなりました。

しかし、流石に相当古い筐体なので、現存する筐体は残念ながら日本には1台も無いそうです。

今となっては実物の筐体で遊ぶことは出来ませんが、

PS2で発売されたSEGA AGES2500 ダイナマイト刑事

にオマケゲームとして収録されています。

どうしてももう一度遊んでみたい!という方は、こちらでプレイしてみて下さい。

しかし、こちらも今となっては中古価格が超高額なのが厳しいところですが。。。

1960年代はエレメカのみ

ペリスコープのヒットを受け、セガはこの後も様々な業務用アーケードゲーム機を出していきました。

実際に銃を握って撃つライフルマンやミニサッカー、ハンドルで操作するドライブモービル、

コンバット、グランプリ、ガンファイト、セガナイトライダーなどなど、

1960年代のゲームは、まだまだエレメカタイプがほとんどでした。

そんな中、1971年にはATARIの創業者であるノーラン・ブッシュネル氏によって開発された

世界初のビデオゲーム、コンピュータースペースが発売されます。

元々はマサチューセッツ工科大学の学生によって作られたスペースウォー!が元となっており、

それをコンパクトにしナッチグン・アソシエーツ社から発売。

アミューズメントショーなどに出展し、一時期は注目を集めましたが、複雑な操作方法などで評判は芳しくなく、

その後、ナッチグン・アソシエーツ社も倒産。

コンピュータースペースは商業的には失敗となります。

そして、その失敗を踏まえて、1972年に北米企業のATARIからポンが発売。

元々は、世界初の家庭用ゲーム機とされているオデッセイのピンポンゲームからヒントを得たそうです。

当時は飲み屋などに設置され大ヒットとなりました。

ポントロン

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1973年7月

日本にもポンが輸入され、国内で初めて稼働したビデオゲームとなります。

そして、そのポンのタイトー版が「エレポン」で、

セガ版が、本作「ポントロン」。

ポントロンは、テレビとICを利用した電子ゲーム機で、セガのビデオゲーム第一弾作品。

パドルを操作してボールを打ち合い、打ち漏らすとミスになります。

要はエアホッケーのビデオゲーム版ですね。

この頃はまだ表現も限られており、今見るとシンプル過ぎますが、当時としては画期的。

セガは同年11月にポントロンの続編「ポントロンⅡ」を発売。

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

こちらには切り替えスイッチが付き、ポントロンと同じピンポンのゲームの他に、

左サイドのゴールキーパーを模した板を避けながらゴールを狙う、1P専用のゴールキックゲームが追加。

二つのゲームが遊べるというのも、当時としてはスゴイ技術だったでしょうね。

1974年には、ゴールキックゲーム単体の作品「ゴールキック」も
発売されます。

このセガのポンとタイトーのエレポンが、日本のビデオゲーム幕開けと言われています。

ATARIがBreakoutを発売

1976年

1976年にアタリからブロック崩しゲームの元祖「Breakout」が発売され、こちらも世界的に大ヒットとなります。

以降、各社から様々なブロック崩しゲームや類似作品が発売されます。

ちなみに、この辺りの時代背景は、スティーブ・ジョブズ氏の映画「ジョブズ」でも描かれているので、興味のある方は是非見てみて下さい。

ダブルブロック

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1979年

日本で最初にブロック崩しのライセンス生産を行ったのは、タイトーと言われています。

タイトーは従来の立って遊ぶアップライト型から、テーブル筐体を開発。

このテーブル筐体は普通にテーブルとしても使用できることから、特に喫茶店などで多く導入され始めます。

ゲーム目当てのお客も増え、これが予想以上に大ヒット。

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

これがきっかけで、テーブル筐体が全国に普及し始めます。

セガのブロック崩しゲームは、ブロック崩しとポントロンを組み合わせたような作品。

相手のブロックを崩し、最終的に相手の陣地に玉を入れると得点が入ります。

ちょっと一手間入れるところがセガらしいですね。

タイトーからスペースインベーダーが発売

1979年

1979年には、タイトーから遂にあの大ヒット作スペースインベーダーが発売。

本作の登場によって、全国各地にゲームセンターが作られることになります。

社会現象となるほど大ヒットとなり、各社からも様々な類似作品が続々登場。

当時、喫茶店やゲームセンターで遊んでいた人も多かったでしょう。

それまでのゲーム業界はアメリカ主導で、日本が基板を輸入する側でしたが、

本先以降は、その立場が逆転する事となります。

スペースアタック

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1979年

セガからも、センカンヤマト、スペースファイター、スペースアタックなど次々シューティングゲームを発売していきますが、

しかし、どれも本家スペースインベーダーを超える事は出来ず。

他社からも似たような作品が多数発売され、そこから抜け出すのは厳しかったでしょうね。

セガのスペースアタックも、カラフルな背景や、UFOが頻繁に登場するなど色々改良されていますが、

やはり、当時はそこまで注目されなかったようです。

また、このインベーダーゲームブームも、それほど長く続かなかったのも不運なとこ。

このスペースインベーダーブームの急速な失速により、多くのゲーム会社が窮地に陥ります。

後にカプコンを創業する辻本憲三氏がアイレムを追われたのも、

任天堂がドンキーコングを開発したのも、元々はこのスペースインベーダー類似品開発の失敗と言われています。

ヘッドオン

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1979年

これまでのセガゲームは、既存ゲームの類似品や改良などがほとんどでしたが、

ここにきて、ようやくオリジナルゲームが作られます。

それが、ドットイートゲームの元祖とも言われる本作ヘッドオン。

ドットイートゲームと言えば、1980年に発売されたナムコのパックマンが有名ですが、こちらの方が1年ほど早いです。

本作は、画面の白いドットを全て取るとクリアというシンプルなルール。

ボタンを押すと加速、離すと一気に減速し、これをうまく使い分けて敵の赤い車に当たらないようスピードとコースを調節していきます。

本作も当時は高い評価と人気を獲得し、ライセンス生産やコピー品なども多数出回りました。

ヒットゲームが出ると、すぐに類似品やコピー品が出るのは当時のあるあるで、特許や著作権などの認識もまだまだ緩かったんでしょうね。

それを受けてか、セガからも半年後くらいにはUターンが可能となったヘッドオンⅡが発売。

後にSG-1000では、パッカーとしてアレンジ移植されています。

モナコGP

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1979年

セガと言えば、後に大型筐体や体感ゲームなどのヒット作を色々開発していきますが、

そのスタートとなった作品が、本作モナコGPとセガ公式でも紹介されています。

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

レースゲームと言えば、今は3D視点が一般的ですが、当時は上から視点のトップビューが当たり前。

ライバル車を避けながら、水溜まり、スリップゾーンなどのコースを進んでいきます。

トンネルに入るとヘッドライトが照らす範囲しか見えないのも新しいです。

筐体には大型のコックピットタイプとミニタイプ、そして、テーブルタイプがありました。

後にSG-1000やセガサターン、PS2のSEGAAGESでも復刻しています。

セガ初期の作品の中でもかなり知名度が高い作品で、遊んだことがある方もきっと多いはず。

サムライ

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1980年

その後もセガは、様々な個性的なゲームを色々開発していきます。

本作サムライも、当時としては珍しい和物のアクションゲーム。

タイトル通り侍を操作し、刀で敵を倒していきます。

左右に待機している敵は、プレイヤーが近づくとさすまたで拘束し、一定時間動けなくなります。

また、敵を倒すと上から忍者が現れて、手裏剣を投げてきます。

シンプルに見えて、意外と色々盛り込まれています。

当時の出荷数もけっこう多く、知名度も高い方でしょう。

しかし、モナコGPなどと比べて家庭用に移植されなかったのが
残念。

その後、だいぶ後になってから、セガサターンのSEGAAGESメモリアルセレクションで復刻しています。

ディープスキャン

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1980年

次に発売されたセガゲームは、戦艦から機雷を落として潜水艦を撃沈させる作品。

1978年に発売されたディプス・ボンプのリメイク作品になりますが、

タイマー制ではなく残機制になり、また、画面下には敵の位置が分かるレーダーも設置。

これにより、前作よりも遊びやすくなり人気となりました。

家庭用ゲーム機には移植されませんでしたが、当時のパソコンなどには移植。

本作も、後にセガサターンのダイナマイト刑事にミニゲームとして収録されています。

カーニバル

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1980年

次に発売されたのは、こちらもわりと有名な作品カーニバル。

お祭りの射的を模したようなシューティングゲームで、

フクロウ、ウサギ、アヒル、観覧車など、様々な標的を撃ち落としていきます。

BONUSの文字を順番に当てるとボーナス点が追加。

基本的には的は一切攻撃してきませんが、鳥の人形だけはたまに下に飛んできます。

この鳥が下段まで来ると、残弾数が減少します。

弾数には制限があり、弾が全て無くなるとゲームオーバー。

標的を全部当てるとクマが出現。

シンプルですが奥深い内容で、本作も当時はけっこう人気だったみたいですね。

トランキライザーガン

出典:https://www.sega.jp/history/arcade/index.html

1980年

こちらもセガ初期作品の中でも、かなり有名なアクションゲーム。

Tranquilizer Gun(トランキライザーガン)とは、あまり聞きなれない言葉ですが、麻酔銃の意味。

猛獣を麻酔銃で眠らせてトラックへ運ぶ、当時としてもちょっと珍しいゲームシステム。

猛獣はそれぞれ耐久性が決まっており、象が最も高いです。

また、麻酔銃で眠らせた猛獣は30秒以内にトラックに運ばなければなりません。

トラックを止める位置や猛獣との距離なども考えなければならず、

時にはゴリラが捕まえた動物を逃がしてしまう事もあります。

シンプルに見えて、意外と戦略性に富んだ内容。

こちらも当時から人気で、後にSG-1000でも「サファリハンティング」として移植されています。

当時のセガのゲームの中で、『ヘッドオン』『ディープスキャン』『侍』『モナコGP』と並び、知名度の高いゲームでしょう。

しかし、現在では、動物愛護団体からクレームが来るかもしれないと
再販や復刻は難しいようです。

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