アケアカで配信されているレトロゲーム(1980~1981年)

最近は懐かしいレトロアーケードゲームも安価で現行機で遊べるようになり、オッサンゲーマーにはありがたい世の中になりました。

レトロゲームアーケードの復刻と言えば、やはりアーケードアーカイブス(略してアケアカ)ですよね!

switchやPS4などでダウンロード販売していますが、838円という安価なとこも購入しやすくて助かります。

switchとPS4で配信タイトルはほぼ同じですが、任天堂作品はswitchでしか販売されていません。

これから購入予定の方で、任天堂のレトロゲームも遊びたい方は、PS4よりもswitchがオススメです。

今回は、そんなアケアカで配信されているタイトルの中で、最も古い1980年から1981年のレトロアーケードについて紹介していきます。

当時よくゲーセンや駄菓子屋で遊んでいた!

と言う方は、是非見ていってください。

 

アケアカで配信されているレトロアーケードゲーム(1980~1981年)

 

ムーンクレスタ

1980年6月

日本物産

合体して自機をパワーアップできる、当時としては画期的なシューティングゲーム。

インベーダーゲームのヒットで、当時は様々な固定画面のシューティングゲームが登場しましたが、

どれもそこまで大きな違いはありませんでした。

しかし、本作はそれぞれ異なった動きをする敵キャラ、自キャラの合体要素など、ワクワクした子もきっと多かったはず。

この合体要素は、後のマグマックスや、テラクレスタなどにも引き継がれることに。

日物の合体シューティングは、ココから始まっています。

パックマン

1980年7月

ナムコ

世界中で大ヒットした、ナムコの名作パックマン。

世代でない人も、名前くらいは聞いたことがあるでしょう。

2005年のギネス・ワールド・レコーズでも

世界で最も成功した業務用ゲーム機

に認定されました。

本作を開発した岩谷徹氏は、女性受けするゲームの開発を考えており、

「女性は食べることが好き」

というコンセプトを元に作られたのが本作。

女性でも遊びやすいように、レバー1本で操作するというのも最初から決まっていたそうです。

日本でもヒットしましたが、それ以上にアメリカでは大ヒットとなります。

どれくらい当時のアメリカ人の心を掴んだのかは、映画「ピクセル」を見ればよく分かります。

サスケ VS コマンダ

1980年10月

新日本企画(後のSNK)

トーセが開発し、新日本企画から発売された固定画面のシューティングゲーム。

倒した敵が死体となって落ちてきて、それに当たってもミスになるとこが、他とはちょっと違う設定。

雑魚敵を一定数倒すとボス戦に突入します。

ボスを倒せばボーナス得点が入り、ミスるとザコ忍者が踊りながらプレイヤーを煽ってくるとこが
またウケますね。

主人公や敵キャラが忍者という和風な設定が、当時としては珍しかったです。

クレイジークライマー

1980年11月

日本物産

2本のレバーでビルを上っていく、当時はかなり有名だった作品。

素手で何百階もありそうなビルを上り、住人からは花瓶などを投げられ、途中には巨大ゴリラまで生息する謎の巨大ビル。

色々ツッコミどころ満載ですが、当時は人気で各地のデパートの屋上やゲーセンで稼働していました。

本作の開発者はムーンクレスタと同じ藤原茂樹氏で、初期の日本物産のヒット作を次々に手掛けた人物。

後にハドソンに移籍してからは、あの名作ボンバーマンを作ったことでも有名。

ラリーX

1980年12月

ナムコ

右のレーダーマップを見ながら、フラッグを入手していくアクションゲーム。

初代のラリーXは難易度が高すぎるという事で、社長命令で約1か月後に難易度調整や軽快なBGMに変更されたニューラリーXが発売。

そして、このニューラリーXがヒットした為、どちらかと言うとニューラリーXにハマった方が多いはず。

アケアカには、ニューラリーXも収録してほしかったですね。

スペースクルーザー

1981年

タイトー

地球の平和を守るため、敵UFOを撃退していくシューティングゲーム。

当時はまだまだ固定画面のシューティングゲームが多い中、隕石を避けながらストーリーが進行していくのを、ワクワクしながら遊んでいた子も多かったことでしょう。

オープニングのロケット発射シーンの演出は初めは良いですが、何度もやるとカットしたくなりますねw

こちらも長らく家庭用ゲーム機には移植されなかったので、当時遊んできた人は嬉しい復刻でしょう。

スカイスキッパー

1981年

任天堂

ゴリラを倒し、捕らわれたトランプ王国の人たちを救出するアクションシューティング。

任天堂にしてはかなりマイナーな作品で、海外では1983年にAtari2600で移植されましたが、国内のゲーム機では移植されず、長らく幻の作品と言われてきました。

要するに、当時はあまり人気はなかったようです。

アメリカにわずかに残っていた基盤を基に、今回アケアカで再現。

本作はswitchのみプレイ可能。

ルート 16

1981年2月

サンソフト

ステージ内にあるアイテムを回収していくアクションゲーム。

ラリーXにも近い設定ですが、こちらは16の区画に分かれたフィールドと、個別の迷路ステージに分かれています。

この全景の大画面と、個別ステージの切り替えが本作最大の特徴でしょう。

こちらはファミコンなどにもアレンジ移植されているので、知名度は高いですよね。

スクランブル

1981年3月

コナミ

国産のスクロールシューティングの先駆けと言われている、コナミ躍進のきっかけとなった作品。

本作の元となったのは、ピンボールゲーム機などで有名だったアメリカのWilliams Electronicsが 1980年に発売されたディフェンダー。

燃料があるため、地上にあるエネルギータンクも定期的に破壊しないとなりません。

ステージごとに変化する背景、敵キャラなどは当時としては画期的な内容でした。

後の名作、グラディウスの原型ともいわれています。

ドンキーコング

1981年8月

任天堂

言わずと知れた、任天堂が大躍進するキッカケとなった作品。

当時の任天堂はそこまでメジャーではなく、また前年に発売されたレーダースコープも不振。

そんな厳しい状況の中で生まれたのが本作。

この3000台も余ったレーダースコープの基板を処分するために、急遽白羽の矢が立ったのが、まだ入社4年目の宮本茂氏。

ここからも当時の任天堂としては、そこまで大きな力を入れていたわけではなく、またそこまで
ヒットするとも思ってもいなかったのでしょう。

元々はポパイを題材としたゲームを開発予定でしたが、版権の取得に失敗しキャラクターデザインやBGMまで宮本氏が作ることに。

そして生まれたのが本作。

社内での評価はかなり低かったそうですが、それを覆したのがアメリカのロケテスト。

稼働初日から人気を博し、1年で300億円以上売り上げたと言われています。

ドンキーコングのヒットが無かったら、マリオなどはもちろん任天堂自体、存続していなかったかもしれませんね。

フロッガー

1981年8月

コナミ

車を避けながら亀や丸太に乗って最上段までカエルを導く、シンプルなアクションゲーム。

当時は様々なアニメの音楽を使用していましたが、残念ながらアケアカ版はBGMが変更されています。

さすがにアケアカで、版権を取得してまで音楽を使用するのは割に合わなかったのでしょうね。

まぁ、当時から音楽の権利を取得していたかどうかは微妙なところですがw

スーパーコブラ

1981年8月

コナミ

スクランブルの後継作で、マイナーチェンジ作品。

自機がヘリコプターになりステージが変更されていますが、それ以外は、ほぼスクランブルと同じ。

難易度が大幅に上がり、前作をやり込んだ人も再度楽しめるように作られましたが、

残念ながら前作ほどの人気は出ず、設置店も増えませんでした。

フリスキー・トム

1981年9月

日本物産

配管工のトムを操作し、ネズミに壊された水道管を修理していくアクションゲーム。

当時の日物アーケードとしてはかなりマイナーな作品。

ファミコンに移植されても良さそうなものでしたが、恐らく、そこまで人気はなかったんでしょうね。

後に、ニチブツアーケードクラシックスで復刻しています。