タイトーアーケードゲーム特集 その1

今回は懐かしい

タイトーのアーケードゲーム

について紹介していきます。

日本では老舗ゲームメーカーのタイトーですが、ここ最近ではヒットゲームも無く、今となってはスクウェア・エニックスの子会社らしいです。

任天堂やナムコ、セガ、カプコンなどと比べると、ヒットゲームの印象も少ないですよね。

しかし、70年代から80年代のゲームと言えば、セガ、ナムコと並んでタイトーのゲームを思い浮かべる方も多いはず。

タイトーアーケードゲームの歴史 その1

 

エレポン

1973年

タイトー

日本初の業務用アーケードゲームとされているのが、タイトーのエレポンと、セガのポントロン。

この二つは筐体やモニターに違いはありますが、中身はほぼ同じ。

ATARIのポンと同じ設定のゲームで、二つのパドルで1つのボールを打ち返す、エアホッケー的なゲーム。

アメリカからポンの基板を輸入し、それを国内で組みなおしたと言われております。

これはセガのポントロンも同様。

後にタイトーからアレンジ作品の、サッカーとプロホッケーが発売されます。

また、日本初の家庭用ゲーム機となったエポック社のテレビテニスも、ポンの派生作品。

当時は色々緩い時代だったんですね。

スピードレース

1974年11月

パシフィック工業

世界初のレースゲームと言われているのが、ATARIのグランドトラック10、そして

その8か月後に登場したのが本作。

内容はトップビューのレースゲームで、自機は中央固定ですが、背景が下に流れていく縦スクロール。

固定画面のグランドトラック10とは比べ物にならないくらい迫力やスピード感もあり、当時としては革命的なビデオゲーム。

本作を開発したのが、後にスペースインベーダーを生むことになるタイトーの子会社「パシフィック工業」の西角友宏氏。

本作の人気は、日本国内だけにとどまらず、海外でも大人気となります。

海外では、タイトー連携関係にあったMidwayから「レーサー」として発売されています。

後に、シフトレバーが付いた続編が発売されるなど、当時は大ヒットしました。

ウエスタンガン

1975年9月

パシフィック工業

スピードレースで大ヒットした西角氏が、次に開発したのが本作。

2人対戦のアクションゲームで、アメリカ西部のガンマンが、1対1で戦う設定。

当時としてはちょっと複雑な設定ですが、キャラが画面内で自由に動き回れるのは凄かったみたいですね。

後に米国ではMidwayから、ガンファイトとして発売されています。

本作はビデオゲームで初めてCPUを搭載した作品。

電子回路の組み合わせから、プログラムへと転換したキッカケともいえるゲーム。

スピードレースほどヒットはしませんでしたが、ゲーム業界に与えた影響は非常に大きいです。

ミサイルX

1977年3月

タイトー

ビデオゲームが流行る前は、エレクトロニクスとメカトロニクスを組み合わせた、エレメカゲームが主流でした。

本作は、まだまだ懐かしいエレメカ作品で、背景の絵に映し出された標的を打ち落とす内容。

ハーフミラーを使用し、画面に奥行きがあるように表示しています。

また、命中するとランプが光ったり、効果音が鳴るなど、演出も工夫されています。

当時はデパートの屋上などにエレメカが色々置いてあり、子供の頃はデパートに行くと必ず屋上に連れていってもらったものです。

今はもう想像できませんが、当時のデパートは大賑わいで、日曜日ともなると屋上では様々なイベントなどもやっていました。

当時のデパートは、お買い物から食事、娯楽など、まるでテーマパークのようでしたね~。

スペースインベーダー

1978年

パシフィック工業

社会現象にもなった、大ヒット固定画面シューティングゲーム。

タイトーを代表する作品で、当時は大人から子供まで大ブーム。

本機が置いてあるゲーセンはもちろん、喫茶店なども大繁盛したらしいです。

実は当初の反応はあまり芳しくなく、その主な理由は難しすぎる!という点。

その為、出荷までに結構時間をかけて調整したらしいですが、それが功を奏したようですね。

本機のテーブル筐体も当時としては結構な価格の46万円でしたが、当時のインカムは、なんと1日2~3万もあったそうです。

その為、僅か1ヶ月で元が取れるということから、多くのお店が購入し生産が追いつかないほど。

全国各地にスペースインベーダー専門のゲームセンター「インベーダーハウス」が建ち、当時はレコードも発売されたらしいですね。

その為、多くのコピー基板や類似品が世に出回ることに。

しかし、スペースインベーダーブームは約1年ほどと、そう長くは続きませんでした。

ゲームは頭に悪い、ゲームセンターは不良の溜まり場になる、など主にマスコミから批判が集中。

今も昔も、マスコミというのはロクな報道をしません。

これで本人たちは正しいことをしていると思っているんですから、更に手に負えませんよね。

それもあって、インベーダーゲームのブームは一気に終息へと向かいます。

スペースインベーダーに似たゲームが各社から色々発売されますが、中には発売前にブームが終わってしまった可哀そうな作品も。。。

スペースインベーダーが発売される前と後では、ゲーム業界も大きく時代が変わります。

発売前はビデオゲームは北米主導で、日本は北米から基板を輸入するのが当たり前でしたが、

発売後は、逆に日本から北米に輸出するようになります。

日本だけでなく、世界のビデオゲームの流れを変えた作品といってもよいでしょう。

ルナレスキュー

1979年11月

パシフィック工業

スペースインベーダーブームの早すぎる終息で、大量に余った同基板の再利用が急務となりました。

インベーダーゲームはわずか1年程で、全国に30~50万台のゲーム筐体が生産、出荷されたので、廃棄するだけでも大変です。

そこで、西角氏は同基板のROM交換によって本作を制作。

宇宙船で人々を救出し、敵を打倒しながら母船に戻る内容。

月面に降りるときは自機のスピードを調整しながら隕石を避け着陸し、帰るときは敵を倒しながら母船に戻ります。

本作もそれなりにヒットし、全国に残された多数のインベーダーゲーム基板が有効に再利用されました。

改めて、西角氏の凄さが分かりますね。

本作も、イーグレットⅡミニなどで復刻しています。

スペースチェイサー

1979年7月

タイトー

スペースシップを操り、敵のミサイルから逃げながら画面上のドットを取っていく、ドットイートゲーム。

見た目通り、セガのヘッドオンから大きな影響を受けた作品と言われています。

画面のドットを取っていく内容はヘッドオンと同じですが、本作は自由に方向転換できるのが大きな特徴。

自由に方向転換が出来るなら簡単では?

と思うかもしれませんが、ドットが少なくなるにつれ敵は速くなり、見た目以上に難易度は高め。

しかし、パターン通りに動けば誰でもクリアは可能。

スチールワーカー

1980年

タイトー

かなりマイナーな固定画面のアクションゲーム。

建設現場で働く作業員を、下段にある矢印の鉄骨を利用して右端まで安全に誘導するのが目的。

30~40歳世代では、ちょっとレミングスをイメージします。

こんな危険な建設現場では働きたくありませんね^^;

シンプルで分かりやすい内容で、ちょとやれば誰でもすぐに理解できるはず。

どっぷりハマるほどではありませんが、ちょっとやる分には楽しいです。

長らく家庭用に移殖はされてきませんでしたが、イーグレット2ミニでようやく復刻しています。

バルーンボンバー

1980年3月

本作もルナレスキュー同様、スペースインベーダーの基板をROM交換し再利用した作品。

風船にぶら下がった爆弾を打ち落としていく内容で、爆弾が地面に落下すると自機の移動が出来なくなる設定。

時間と共に自機の移動が制限され、長時間プレイは中々厳しい内容。

長時間プレイ防止のゲームでしたが、逆に制限時間内にどれだけ点数を稼げるかが熱かったそうです。

しかし、当時は既にナムコがギャラクシアンなど、スプライト機能を使ったゲームへと移行しつつありました。

ですが、タイトーはスペースインベーダーが流行りすぎたせいか、その基板の再利用を考え、中々移行できずにいました。

後に大ヒットするカプコンのストⅡもヒットしすぎたため、その後の3D格ゲーからは大幅に後れを取る事になります。

あまり流行りすぎるのも、後に弊害があるようですね。

ルパン三世

1980年4月

タイトー

人気アニメ、ルパン三世のアクションゲーム。

上段のドル袋を回収し、銭形警部や警察犬から逃げながら下段まで持ち運ぶ内容。

といっても、この頃はまだまだドットも粗く、ルパンや銭形警部には見えませんよね。

ルパンの音楽が流れるのが、作中で唯一ルパンを感じるところ。

当時はまだ著作権の意識が低く、特にゲーム業界ではキャラや海賊版の盗用も多かった時代。

この辺りから著作権の重要性に気づき、メーカー側も率先して守るようになってきました。

本作は、日本で初めてアニメ作品を扱ったゲームで、もちろん放映元である日本テレビから許可を得て発売されています。

こちらも長らく家庭用ゲーム機には移植されませんでしたが、イーグレット2ミニで、ようやく復刻しました。

クレイジーバルーン

1980年3月

タイトー

障害物に当たらないように風船を誘導し、ゴールまで導くゲーム。

ふらふらと左右に動く風船を4つのボタンで操作していきます。

序盤は割と簡単ですが、面が進むと障害物も移動し難易度も上がります。

また、ずっと同じ場所にとどまっていると、顏が現れて息を吹きかけて風船を飛ばしてきます。

当時はシューティング系のゲームが多い中、本作は中々異色な内容。

意欲的な作品ではありましたが、当時の人気はイマイチだったようです。

やはり出荷台数もそれほど伸びず、知名度も低いです。

ニューヨークニューヨーク

1980年10月

シグマ商事

ニューヨークに飛来するUFOから守る、固定画面シューティングゲーム。

円を描きながら動く敵キャラなど、ナムコのギャラクシアンによく似ています。

ボーナス点なども多く、点数稼ぎが特に熱そうですね。

発売はタイトーですが、開発はシグマ商事。

この頃は、まだまだインベーダーゲームの影響が大きい印象ですね。

後に発売されるシグマ商事の我が青春のアルカディアは、本作の背景とBGMを変えた作品。

フェニックス

1980年12月

Amstar Electronics

海外メーカーのAmstar Electronicsが開発しタイトーから発売された、固定画面シューティングゲーム。

全5面で1周となり、1.2面、3.4面で異なる敵が登場します。

最終面では敵の大型母船と戦うなど、当時としては中々面白い演出。

緊急回避用にバリアなどもあり、凝った設定ですがそこまで出荷台数は増えなかったようです。

この年は、ナムコからはパックマン、日本物産からはクレイジークライマーなどの革新的な作品が多く登場した年。

これまでのような固定画面シューティングゲームは、そろそろ飽きられてきた時代。

アーケードゲームは、この辺りからタイトーからナムコへと時代が変った印象があります。

クイックス

1981年11月

タイトーアメリカ

タイトーアメリカが開発した陣取りゲーム。

敵に当たらないようにラインで囲って陣地を増やしていきます。

ヴォルフィードやギャルズパニックなど後に様々な派生ゲームが出ますが、その原点が本作。

シンプルですが奥が深く、当時から人気だったようです。

しかし、アメリカでの人気はそれほど長くは続かず、逆に日本では様々な続編が作られることに。

好みは分かれそうですが、好きな人はハマるゲームですね。

後に、下絵に美少女のご褒美画像が描かれたギャルズパニックなども登場し、個人的にはそちらをハマって遊んでいました。

その為、下絵に、エロ画像 ご褒美画像が無いと、ちょっとヤル気が出ません。。。